私が先ほど「その眼鏡を、そっと外してみてほしい」とお伝えしたのは、実は心の仕組みとして、とても大切なことが隠れているからなんです。
人は、心がつらいとき、無意識に物事を「勝ち・負け」「善・悪」といった、白か黒かの形に整理しようとします。
そのほうが、わかりやすくて、自分の痛みから目をそらせるからなんです。
「妻が先に裏切った、だから自分は被害者で、勝者だ」。
そう区切ってしまえば、ご自分の罪悪感や、さみしさと、まっすぐ向き合わずにすみますよね。
裏切られた痛みも、裏切ってしまった後ろめたさも、「勝ち」というひとことの下に、そっと隠しておけるんです。
でも、隠したものは、消えたわけではないんですよ。
勝ち負けで区切っているあいだ、本当にぶつかっている相手は、奥さまでも、部下の方でもないんです。
ほかでもない、ご自分自身なんですよ。
まわりの視線が冷たく感じられるのも、その内側の落ち着かなさが、外の世界に映し出されているのかもしれませんね。
足元が崩れる感覚というのは、外側で起きている噂や視線のことだけではなくて、心の奥で「このままでいいのだろうか」という声が、そっと鳴りはじめているサインでもあるんです。
その声は、あなたを責める声ではありません。
あなたを、本当の望みのほうへ連れて行こうとしてくれている、やさしい声なんです。
そして、この「どう生きたいか」という問いには、勝ち負けと違って、相手が必要ありません。
誰かに勝って手に入れる幸せは、いつも誰かの負けの上にあって、足元がぐらつきやすいものです。
でも、あなた自身が「こう生きたい」と選んだ幸せは、誰かから奪ったものではないぶん、崩れにくく、あなたの根っこになっていきます。
これを読んでくださっている、いま足元が揺れているように感じているあなたへ。
自分のしてきたことを見つめるのは、こわいことですよね。
でも、それは自分を罰するためではなくて、これからをちゃんと選びなおすためなんです。
過ぎたことは変えられませんが、これからをどう生きるかは、今この瞬間から、あなたが選んでいけます。
勝ち負けの外側にある「どう生きたいか」は、誰かと競って奪うものではなく、あなただけの、静かな問いです。
その答えは、すぐに出さなくていいんですよ。
焦らなくて、大丈夫ですからね。