私が先ほど「あれは痛み分けではなく、正当防衛です」とお伝えしたのは、実は心の仕組みとして、とても大切なことが隠れているからなんです。
暴力を受けた方の多くが、なぜかご自分を責め始めます。
「私も叩き返したから」「私が話をこじらせたから」と、責任を自分の側に引き寄せてしまうんですね。
これは、あなたが公平でいようとする、誠実な方だからこそ起きることなんです。
でも、そこにはもうひとつ、心の防衛も働いています。
「これはDVだ」と認めることは、とても怖いことなんです。
だから「夫婦げんかの範囲かもしれない」と考えるほうが、今の暮らしを壊さずに済むように感じられる。
自分を責めているようで、実は現実の重さから、心を守ろうとしている——それほど今のあなたは、張りつめていらっしゃるんですよ。
もうひとつ、お伝えしておきたいことがあります。
暴力のあとに、相手が急に優しくなったり、涙ながらに謝ったりすることは、めずらしくありません。
その優しさに触れると、「本当はいい人なのかも」「私さえ我慢すれば」と、心が揺れてしまいます。
でも、激しさと優しさが交互にやってくるほど、人の心は相手から離れられなくなっていくんです。
これは、あなたの意志が弱いからではありません。
人の心が、もともとそういうふうにできているだけなんですよ。
では、夫婦げんかとDVの境界線は、どこにあるのでしょうか。
意見がぶつかり合うのが、夫婦げんかです。
でも、力で相手を押さえつけ、恐怖で従わせようとした瞬間から、それはもうけんかではなく、暴力になります。
「女だから手を出さないと思っているんだろう」という言葉は、力の差をわかったうえで向けられた、支配のサインでした。
対等な言い合いと、支配とは、まったく別のものなんですね。
これを読んでくださっている、今も「自分にも落ち度があったのでは」と考えてしまう、あなたへ。
あなたが感じた「怖い」は、正しい感覚です。
どうか、その感覚を疑わないであげてくださいね。
あの日のお顔が忘れられないのも、あなたの心が「危ない」と、必死で教えてくれているからなんです。
そして、その怖さは、一人で抱えて我慢するためのものではないんです。
相談することは、大げさでも、裏切りでもありません。
あなたが今日から少しでも、安心して眠れる場所にいられること。
私が願うのは、まず、それだけなんですよ。
焦らなくて、大丈夫ですからね。