遺影の前で繰り返す「ごめんなさい」
数ヶ月前、母が自死を遂げた。 実家の仏壇に飾られた、少しはにかむような母の遺影。その前に座るたび、私の目からはとめどなく涙が溢れ出て、線香に火をつける手すら震えてしまう。
「……ごめんなさい。もっと、寄り添ってあげればよかった」
誰もいない静かな和室に、私の掠れた声だけが虚しく響く。私がもっと頻繁に実家に顔を出していれば。私が母の心の居場所になってあげていれば。防げたかもしれないという後悔の念が、毎日毎日、私の心を鋭くえぐっていく。
薬で蓋をしても、憂鬱は晴れない
ダイニングテーブルの上に転がる、精神科で処方された薬のシート。小さな錠剤を水で流し込んでも、心の奥底にへばりついた分厚い暗雲が晴れることはない。 朝起きるのも辛く、ただ息をしているだけで鉛のように体が重い。
窓の外から近所の人の笑い声が聞こえるたび、「どうして母はあんなに一人で苦しんでいたのに、私は今ここで生きているのだろう」と、得体の知れない罪悪感に押しつぶされそうになる。
この先、残された私は一体どんな顔をして、どんな心持ちで過ごしていけばいいのだろう。誰に助けを求めても、親を亡くした底なしの喪失感を完全に埋めてもらえるわけじゃない。深い孤独の底で、私はただ時間が過ぎるのをじっと耐え忍ぶしかなかった。
彼女の人生と、私に託された命
ある晴れた朝、ふと「お墓参りに行こう」と思い立った。ずっと部屋に引きこもって泣いてばかりでは、私の心まで完全に壊れてしまう気がしたからだ。
バケツに水を汲み、無心で墓石を磨く。冷たい水に触れ、少し力を入れてスポンジを動かしながら、久しぶりに「自分の体を動かしている」という確かな感覚があった。
無理のない範囲で、供養のための行動をとる。ただそれだけのことなのに、凍りついていた心がほんの少しだけ動いたような気がした。
ふと、風が通り抜け、墓地の木々がサワサワと揺れた。その時、すとんと腑に落ちるように気づいたのだ。
「母の人生は、母のものだったんだ」
どれだけ私が自分を責め、後悔したところで、私が母の運命を丸ごと背負ってあげることはできない。あれは母自身が苦しみ抜いた末に選んだ、彼女の人生の結末だったのだ。
そう切り離して受け止めることが、私がこの悲しみから立ち上がるための第一歩なのかもしれない。
そして私には、母から与えられたこの大切な体と命がある。
私が自分の人生を放棄して泣き続けることを、母は本当に望んでいるだろうか。
きっと違う。
私が私自身の人生を心から楽しみ、幸せでいること。それこそが、母への何よりの供養になるはずだ。
悲しみが完全に消える日は来ないだろう。でも、少しずつでいい。この命を守りながら、私は私のために生きていこう。
綺麗になった墓石に静かに手を合わせながら、私は小さく、けれど確かな一歩を踏み出した。







