笑顔の残骸と、重すぎるドア
「お疲れ様でしたー!」 職場のドアを閉めた瞬間、顔に張り付いていた笑顔の筋肉がドロリと溶け落ちる感覚がした。
重い足取りで最寄り駅からアパートまでの道を歩き、鍵を開けて暗い部屋に入る。靴を脱ぐ気力すらなく、玄関の冷たい土間の上にへたり込んだ。
人と関わると、どうしてこんなに疲れるんだろう。
今日も誰かの機嫌を損ねないように必死だった。
「あの言い方、嫌われちゃったかな」
「もっと気の利いた返しができたはずなのに」
反省会という名の自己否定が頭の中をぐるぐると回り、脳のエネルギーを容赦なく奪っていく。
そのままカバンを放り出し、フローリングの床に倒れ込んだ。服を着替えることも、メイクを落とすこともできない。ただただ、息をするだけで精一杯だった。
スマホの光に照らされる「空っぽ」な私
仰向けのまま、ポケットからスマホを取り出す。 画面には、通知のない無機質なロック画面が光るだけ。SNSを開けば、同年代の友人たちの結婚報告や、子供の写真、キラキラとした休日の様子が目に飛び込んでくる。急いでアプリを閉じた。
20代の頃は、「そのうち私も普通に友達ができたり、恋人ができたりするはず」と、どこかで希望を持っていた。 けれど、30代になった今、気づいてしまったのだ。私には、人と深く繋がる才能がないのだと。
いっそ「私は一人で生きていく人間だ」と割り切ってしまえば楽なのかもしれない。 でも、その先の未来を想像すると、胸がギュッと締め付けられて息ができなくなる。
病気になったら?老後を迎えたら? 誰にも看取られずに消えていくの?
暗闇の中で、得体の知れない恐怖が私を飲み込もうとしていた。
「ダメな自分」をまるごと舐めとる猫
「フンッ。人間ってのは、なんでそんなに難しく考える生き物なんだニャ?」
不意に、部屋の隅から低い声がした。 驚いて体を起こすと、いつの間にかベランダの窓が少し開いており、月明かりの下に一匹の猫が座っていた。
ふてぶてしい顔つきで、お腹のあたりがぽってりと太った茶トラ猫だ。
「……猫が、喋った?」
「吾輩はフクだニャ。お前、さっきからため息ばっかりで、こっちまで息苦しくなるニャ」
フクはのっそりと近づいてきて、私の目の前でどっかりと腰を下ろした。
「私、もうどう生きていけばいいかわからなくて……。人と関わると疲れちゃうし、でも一人は怖いし。こんなダメな自分じゃ、一生ひとりぼっち……」
私がポツリと漏らすと、フクは長いしっぽをパタンと床に叩きつけた。
「アホかニャ。『疲れる』『人間関係が面倒くさい』、それで終わりでいいニャ。」
「え……?」
「猫なんて、気分が乗らないときは飼い主の呼びかけだって完全に無視するニャ。お前は『人と関われない=ダメな人間』って勝手に判断して、自分をいじめてるだけだニャ。疲れるなら、疲れたー!と大の字で寝ればいいニャ。友達も恋人も、いなきゃいないで快適だニャ。」
フクはそう言うと、前足を丁寧に舐め始めた。
「目の前のカリカリを美味しく食べて、寝る。それで十分生きてるニャ。お前も仕事して、こうやって生きて帰ってきたんだから、もう満点だニャ」
そのふてぶてしくも迷いのない言葉に、私の目からポロリと涙がこぼれた。
「疲れた」と思ってもいい。一人でもいい。 無理して「普通」になろうとしなくていい。
「……そっか。私、頑張ってたんだね」 呟くと、フクは「当たり前だニャ」と短く鳴いて、窓の隙間から夜の闇へと消えていった。
相変わらず部屋は静かだったけれど、先ほどまでの冷たい孤独感は、少しだけ温かく柔らかいものに変わっていた。
登場人物紹介:フク
おう、俺の名前は「フク」だニャ。
たまお悩み相談室のWEB小説に、気まぐれでふらりと現れる猫だニャ。
ちょっと太めでふてぶてしい顔? うるさいニャ、これが俺のベスト・フォルムなんだから放っておけニャ。
俺の生き方は究極の「自分ファースト」だニャ。
美味しいおやつをもらった時しか喉は鳴らさないし、愛想笑いなんて絶対にしない。人間の社会にある「こうあるべき」とか「いい妻・いいお母さんでいなきゃ」なんていう謎のルール、俺たち猫には一切関係ないニャ。
なんで俺がアンタの前に現れるかって?
他人の顔色ばっかり伺って、自分を押し殺してボロボロになってる人間を見ると、なんだか見ててイライラするからだニャ。「自己犠牲」なんていう重たいもん背負ってるアンタに、俺が身も蓋もないツッコミを入れてやるニャ。
人間ってほんと、面倒くさい生き物だニャ。
嫌な時は噛む、寝たい時は寝る。それで嫌われるなら上等だニャ。アンタも俺みたいに、ガチガチに固まった肩の力を抜いて、もうちょっとワガママに生きてみろニャ🐾








