本作のあらすじ
「右目が、二重に見えるんです」——
関西の街から京都まで、ひとりの四十代の女性が「たまお悩み相談室」のたま先生に会いに来た。
薬の効かない目の不調と、二年続いている誰にも言えない関係。「これは、罰ですよね」とつぶやいた数ヶ月前のメッセージから、季節は梅雨に入っていた。
龍安寺の石庭の縁側で、たま先生はその「罰」という言葉に、何を返すのだろうか——
縁側の板のうえに、私たちはあとしばらく、並んで座っていた。
桐原さんはもう何も問われなかった。私も何も付け足さなかった。石庭の十五個の石は、どこから見ても必ず一つだけ隠れて見えると言われている。隠れているものを無理に見せようとしないその作りが、いま私たちの座っているかたちと、どこかで重なっていた。
「先生」
しばらくして、桐原さんが、口を開いた。
「そろそろ、まいります」
「ええ」
「東京駅まで、もう一度、新幹線で帰ります」
——
桐原さんは縁側の端に手をついて、ゆっくりと立ち上がられた。
立ち上がるときにいちど右目のあたりを軽く瞬きされた。それから姿勢を整えて、こちらに頭を下げてくださった。
「先生。今日は、本当にありがとうございました」
「いえ。お疲れになったでしょう」
「いえ。来るときよりも、頭のなかが、すこしすっきりしている気がします」
桐原さんは、ふっと、目の縁のあたりだけで笑った。
——
私たちは、石庭の縁側を離れて、寺の出口のほうへゆっくり歩いた。回廊の柱のあいだを抜けるたびに、苔の匂いが、足元からふっと立ちのぼってくる。
「先生」
「はい」
「眼科は、引き続き、かかります」
「ええ。それは、続けてくださいね」
「お薬も、ちゃんと、飲みます」
「ええ」
「それと、『罰』っていう言い方を、しばらくは、ご自分の中で使わないでみますね」
「ええ」
「『罰』のかわりに、何の言葉を置けばいいかは、まだ、ちょっと、分かりません」
「いいんですよ。お言葉が見つからない時間も、ご自分にとっては、たぶん、大事な時間ですから」
「ええ」
——
桐原さんは、寺の門の少し手前で、立ち止まった。
「先生」
「はい」
「もうおひとりの方のことは、まだ、決められません」
「ええ」
「『よくない』って思いながら続けてきたお気持ちのことも、まだ、整理しきれていません」
「ええ」
「でも、整理しなきゃいけないのに整理できない、っていう焦りは、すこしだけ、軽くなりました」
「ええ」
——
私は、桐原さんに頷いた。
「桐原さん」
「はい」
「ご自分のなかから出てくる『お知らせ』を、もうしばらく、桐原さんがご自分の手で受けていらしてくださいね」
「はい」
「右目のことも、もうおひとりの方のことも、ご自分のお身体のお知らせと一緒に、急がずに見ていただけたらと思います」
「はい」
「お身体、くれぐれも大事になさってくださいね」
「ありがとうございます」
——
桐原さんは、もう一度頭を下げて、寺の門を出ていかれた。
ベージュのカーディガンの背中が、参道の青もみじのあいだを、ゆっくりと小さくなっていく。途中で振り返られないかと思ったけれど、振り返られなかった。長く考えてきたものをご自分のうちで一度持ち直したい人の、まっすぐな歩き方だった。
私はその背中を、しばらく見送った。
——
桐原さんの背中が見えなくなってから、私は、寺の門のほうへは戻らずに、境内を反対のほうへ歩いた。
鏡容池のまわりを、ゆっくりと回ることにした。
雨上がりの梅雨の合間の、午後三時を少し過ぎた頃である。睡蓮の葉のうえの雫は、午前のときよりは、もうほとんど残っていなかった。葉の縁が、すこしだけ風に持ち上げられて、また戻る。風が通るたびに、池の表面のいちばん上のところに、薄い波がいちめん、ゆっくりと立っていた。
——
歩きながら、私は、桐原さんの「罰」という言葉のことを、もう一度、思い返してみた。
罰という字を、ご自分の身体のうちがわで使う人を、私はこれまでにも何度か見てきた。けれど桐原さんは、その字をいったんご自分の外に置こうとしてくださった。「使わないでみる」と、ご自分の口でおっしゃった。
罰、とご自分を縛り続けることをやめたあと、どんな言葉が立ちのぼってくるのか。その速さを、私の側からは、決して急がせてはいけない。
——
池のほとりのベンチに、いったん腰を下ろした。
しばらく、池の向こうの新緑の山のほうを、見ていた。
雨上がりの空の雲が、山の稜線のうえで、ゆっくり位置を変えていた。雲の隙間から差してくる光が、池の表面に、ほんの一筋だけ、明るい帯になって落ちる。その帯のかたちが、見ているうちに、形を保ったまま少しずつ、向こう岸のほうへずれていった。
ベンチのうえで、私は、自分のひざのうえに両手を置いた。
桐原さんと並んで座っていた縁側の板の温度を、自分の手のひらが、まだどこかでうっすらと覚えていた。
——
二十代の頃、私もまた、自分の身体のいちばんわかりやすい場所に、いくつかの「お知らせ」を出させていた。あのときの私はそれを「お知らせ」と呼べなかった。「だらしがなかったから」「まだ努力が足りないから」と、自分のなかで短く片付けていた。
長い時間がかかって、ようやく、お身体の声をお知らせとして受けられるようになった。京都に戻って東洋医学の本を一冊ずつ開きながら、自分の中で言葉が変わっていったのだった。
桐原さんも桐原さんの速さで、その「罰」のかわりの言葉を、ゆっくり探していかれるだろう。
——
ベンチから立ち上がって、もう一度、池のまわりをゆっくり歩いた。
参道の砂利を踏むと、足元から、雨上がりの土の匂いがふっと立ちのぼった。同じ場所を二度歩くというだけのことで、心のなかの位置がほんのすこし、変わって戻ってくる。
——
山門の手前で、私はいちど立ち止まった。
その日は、ここからどこにも寄らずに、まっすぐ家に帰ろうと思った。誰かと話してその時間を軽くしてしまう前に、ひとりで電車に揺られて、もうしばらく温めていたかった。
——
風が、また一筋、参道の青もみじのあいだを抜けた。
葉のうえに残っていた最後の雫が、いくつか、ふっと地面に落ちた。
その音だけが、私のすぐそばで、しずかに残った。








