預金残高と「フルタイム」という重圧
スマホの銀行アプリを開いて、私はまた深いため息をついた。画面に表示された心もとない数字が、ズシリと胃を重くする。
住宅ローンに、これからさらにかかる子供の教育費。55歳という人生の折り返し地点だというのに、我が家の家計には全く余裕がない。
フルタイムで働かなきゃ……
頭ではわかっているのに、求人サイトのアプリを開いては閉じ、開いては閉じる毎日だ。
条件に並ぶ「週5日」「1日8時間」という文字を見るだけで、得体の知れない恐怖で指が止まってしまう。
55歳の空っぽな私と、周囲の冷たい視線
「いい加減、腹を括ったら? 甘ったれるのも大概にしないと」
思い切って知人に相談した時に投げられた言葉が、冷たく耳の奥で反響している。
その通りだ。私は昔からすぐに諦めてしまうし、何事も長続きしない。同年代の人たちが持っているような、55歳ならではの「人生の知恵」や「自信」なんて、私にはこれっぽっちもない。
私って、なんて情けなくて空っぽな人間なんだろう
新しい環境に飛び込む勇気も、行動力もない。自分自身に対する情けなさと、誰にも理解してもらえない孤独感。
薄暗い部屋の中で、私は自分の無力さに押し潰されそうになりながら、ただ膝を抱えていた。
立派な55歳なんて、ただの幻想
ニャんだ、その腐りきった干物みたいな顔は
不意に、足元から低くしゃがれた声がした。驚いて顔を上げると、ふてぶてしい顔つきのちょっと太めの猫が、丸めた求人チラシの上にどっかと座っていた。
あ、あなたは……?
オレ様はフクだニャ。お前、勝手に自分でハードル上げて自爆してるアホだニャ
フクは短い前足で器用に耳を掻きながら、私を鼻で笑った。
だって、フルタイムでバリバリ働かないとダメだし……。でも、私にはそんな能力も、55歳らしい立派な経験もないのよ
私が絞り出すように言うと、フクは呆れたように大きなあくびをした。
アホかニャ。『55歳にふさわしい職場』とか『最初からフルタイム』なんて、誰が決めたニャ?
え……?
お前はただのビビりだニャ。だから、『長続きさせる』とか『立派にやる』なんて目標は今すぐ捨てるニャ。自分はただの『ピカピカの1年生』だと思って、できそうな短い時間から始めればいいニャ
フクはビー玉のような丸い目で、私を真っ直ぐに見据えた。
最初から大きな獲物を捕ろうとするから足がすくむんだニャ。オレ様みたいに、まずは手の届くカリカリから食べ始めるニャ
その言葉が、強張っていた私の心に、すとんと落ちた。
そうだ。私は「フルタイム」や「立派な55歳」という見えない常識に、自分自身で勝手に縛られていただけなのだ。
短い時間でも、私にできることからでいいのよね……
呟いた瞬間、フクは「ふんっ」と鼻を鳴らし、開いた窓の隙間からふらりと消えていった。
スマホの画面を再び開く。「週3日」「短時間」の条件にチェックを入れ直すと、今まで怖かった文字が、少しだけ優しく見えた。
小さな一歩でもいい。私の1年生が、今ここから始まる。
登場人物紹介:フク
おう、俺の名前は「フク」だニャ。
たまお悩み相談室のWEB小説に、気まぐれでふらりと現れる猫だニャ。
ちょっと太めでふてぶてしい顔? うるさいニャ、これが俺のベスト・フォルムなんだから放っておけニャ。
俺の生き方は究極の「自分ファースト」だニャ。
美味しいおやつをもらった時しか喉は鳴らさないし、愛想笑いなんて絶対にしない。人間の社会にある「こうあるべき」とか「いい妻・いいお母さんでいなきゃ」なんていう謎のルール、俺たち猫には一切関係ないニャ。
なんで俺がアンタの前に現れるかって?
他人の顔色ばっかり伺って、自分を押し殺してボロボロになってる人間を見ると、なんだか見ててイライラするからだニャ。「自己犠牲」なんていう重たいもん背負ってるアンタに、俺が身も蓋もないツッコミを入れてやるニャ。
人間ってほんと、面倒くさい生き物だニャ。
嫌な時は噛む、寝たい時は寝る。それで嫌われるなら上等だニャ。アンタも俺みたいに、ガチガチに固まった肩の力を抜いて、もうちょっとワガママに生きてみろニャ🐾








