リビングに響く「死ね」という言葉と、夫の遺影
「ふざけんな! 死ね、うざい!」
リビングに響き渡った怒声とともに、コントローラーが床に激しく叩きつけられる鈍い音がした。
ゲームで負けた小6の長男が、テーブルをバンバンと叩いて荒れ狂っている。その声に驚き、下の子たちはビクッと肩を震わせて私の後ろに隠れた。
一昨年、夫が病気で急死した。当時、長男は小学4年生。
父親が突然この世からいなくなるという現実を前に、私たちは家族みんなで泣き崩れた。
人が死ぬということの辛さや、永遠に会えなくなる悲しさを、彼は身をもって知っているはずなのだ。
「『死ね』なんて言葉、簡単に使っちゃダメ。言霊ってあるんだよ」
私は彼を落ち着かせようと何度も繰り返し伝えてきた。けれど、私の必死の言葉は思春期に突入した長男には全く響かず、最近では下の子たちまで兄の真似をして乱暴な言葉を使うようになってしまった。
棚の上に飾られた夫の遺影が、ただ静かに私たちを見下ろしている。
伝わらない思いと、シングルマザーの孤独な夜
子どもたちが寝静まった後、散らかったリビングを片付けながら、私は深く重いため息をついた。
たった一人で3人の子どもを育てていくプレッシャー。それに加えて、長男の荒れた態度。父親の死という悲しみを一緒に乗り越えてきたはずなのに、どうしてあの子は「死」という言葉をあんなにも軽く扱えるのだろうか。
「私、うまく育てられてないのかな……」
静まり返った部屋の空気感が、シングルマザーとしての私の孤独をより一層際立たせる。長男の暴言を聞くたびに、夫を亡くした時の絶望がフラッシュバックして、胸が締め付けられるように痛む。
死の重みを誰よりも知っているはずの彼が、一番使ってはいけない言葉を連発する理由がわからず、私は完全に途方に暮れていた。
重すぎる「死」の恐怖を、一緒に抱えて生きていく
洗い物をしながら窓に映る自分の疲れた顔を見つめていると、ふと、ある考えが頭をよぎった。
もしかして、彼は「死」を軽んじているのではないのかもしれない。
むしろその逆で、父親を失った「死」という現実があまりにも重すぎて、怖くてたまらないからこそ、乱暴な言葉で必死に振り払おうとしているのではないか。
まだ小学6年生。自分の複雑な感情を、上手く言葉にして処理できる年齢じゃないのだ。 彼が本当に恐れているのは、また誰かを失うこと。
そう気づいた時、あの子の「死ね!」という暴言が、悲痛なSOSのように思えてきた。
これからは、「ダメ」と叱るだけではなく、彼の恐怖に寄り添おう。
「死んだら悲しいよね」「いなくなったら寂しいよね」と、あの日の悲しみをもう一度共有してみよう。
そして、「お父さんも生きて、一緒に楽しいことをしたかったはずだよ。でも、お母さんは絶対に死なないから。頑張って一緒に生きていこうね」と、「生きる」という言葉をたくさん伝えていこう。
一人で抱え込んでいた子育ての重圧が、ほんの少しだけ軽くなるのを感じた。 明日の朝、起きてきた彼をギュッと抱きしめることは照れくさくてできないかもしれない。
でも、私はもう一人で悩まなくていい。誰かにこの気づきを聞いてもらい、前を向くための力に変えよう。私はリビングの明かりを消し、少しだけ足取り軽く寝室へと向かった。








