ポストに届いた分厚い封筒と、夫の深いため息
ポストを開けると、見慣れた筆跡の現金書留が入っていた。送り主は、一人暮らしをしている義母。
封を開けると、そこには「ごめんね、迷惑かけてばかりで」という震えるような字で書かれたメモと、しわくちゃな一万円札が8枚入っていた。
長年の過酷なDVから逃れ、義母が生活保護を受けながら暮らすようになって10年になる。DVの重い後遺症からか、義母の自己肯定感は極端に低い。
「税金で生かせてもらって申し訳ない」「私なんかが幸せになってはいけない」と、会うたびに口癖のように自分を責め続けている。
リビングでその封筒を差し出すと、夫は頭を抱えて深く、長いため息をついた。
「またか……。母さん、俺たちにこれ送るために、また食事を抜いてるんじゃないのか……」
憔悴しきった夫の横顔を見るたび、私の胸もギリギリと締め付けられるように痛んだ。
重すぎる「ごめんね」の言葉と、行き場のない罪悪感
義母は孫に頻繁に会えないことへの罪悪感や、自分は迷惑な存在だという思い込みから、こうして自分の生活費を極限まで削ってはお金を送ってくる。
受け取るべきじゃないことは分かっている。でも、突き返してしまえば、義母の「誰かの役に立ちたい」という唯一の存在意義すら奪ってしまうのではないかと怖かった。
「ごめんね、ごめんね」と謝られながら、生活保護費を切り詰めた血の滲むようなお金を受け取る。
そのたびに、まるで私たちの存在そのものが義母の命を削っているような、重く苦しい罪悪感に押し潰されそうになる。
私たちはどうすればいいのだろう。義母の気持ちは無下にしたくない。でも、こんな歪んだ金銭のやり取りを続けていたら、夫も、義母も、いつか心が壊れてしまう。
感謝を向ける先は、私たちじゃなくていい
夜の静かなダイニングで、冷めたお茶を見つめながら、ふと自分たちの置かれている状況の根本的な「違和感」に気がついた。
そもそも、本来なら息子である夫や私たちが義母の生活を支えるのが筋だ。どうしてもそれができない事情があるから、社会全体が、世間の皆さんが税金という形で代わりに義母の命を支えてくれている。
それなのに、生活保護として受け取ったお金が私たちに送られてくるのは、どう考えてもお金の流れが間違っている。
義母が恩返しをすべき相手は、私たちではない。義母を支えてくれている「社会」のはずだ。
私たちにできるのは、その事実を優しく、けれどはっきりと伝えることだ。
「本当は私たちが支えなきゃいけないのに、ごめんなさい。私たちの代わりに世間がお義母さんを助けてくれているから、そのお礼は、道端のゴミを拾うとか、ボランティアをするとか、そういう形で世間様に返していってほしい」と。
そして、私たち自身も、義母を支えてくれている社会に対して、何かしらの形で恩返しをしていこう。そうすれば、この行き場のない罪悪感も、少しずつ昇華していけるかもしれない。
「ねえ、今度の週末、お義母さんに会いに行こう」
私は夫の背中に静かに声をかけた。突き返すのでも、無理して受け取るのでもない。本当の意味で家族の心を通わせるために、私たちは新しい一歩を踏み出す。








