君とはできないだけ。静かな寝室で崩れた私の前提
「性欲はある。でも、君とはできないだけだ」
暗い寝室のベッドの端で、背中を向ける彼から投げつけられた冷たい言葉が、今も耳の奥にこびりついて離れない。3年の遠距離恋愛を経て、やっと手に入れた結婚生活。なのに、交際中を含めたこの4年間、私たちは指一本触れ合うことがない。話し合おうと歩み寄っても、「家族にしか見えない」「そういう話をされると余計したくなくなる」と突き放されてきた。
総額50万円。私が彼に貸しているお金だ。生活費だってほとんど私が出している。それでも「疲れているから」「仕事が大変だから」という彼の言い訳を、私は必死に信じようとしていた。
でも、限界だった。彼が浴室に向かった隙に、テーブルで光ったスマホの画面に目を落としたあの夜。そこにあったのは、マッチングアプリの生々しいやり取りだった。 結婚前から複数の女性と体を重ね、今もなお別の女性とホテルに行く約束をしている画面。私が信じていた「愛されているという前提」が、音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。
エプロン姿の夫と、飲み込めない朝食
「おはよう。コーヒー、淹れたよ」
翌朝、リビングに行くと、彼はエプロン姿で目玉焼きを焼いていた。最近の彼は、まるで自分の罪を覆い隠すかのように早起きをし、家事をこなし、誠実で優しい夫のふりをしている。
「ありがとう……」
引きつった笑顔でコーヒーを受け取りながら、胸の奥がヘドロのように濁っていくのを感じた。借金があっても、私を女として見てくれなくても、彼には優しいところがある。こうして日常を立て直そうと努力してくれている。「このまま離婚してしまっていいのだろうか」「もう少しだけ、彼を信じて待つべきだろうか」
優しい夫の姿を見るたびに、頭の隅でそんな葛藤が渦を巻く。でも、コーヒーカップを持つ彼の手を見るたびに、あのマッチングアプリの画面をスクロールしていた指を思い出して吐き気がした。誰にも言えない孤独の中で、私だけが裏切りに蓋をして「良い妻」を演じ続けるなんて、もう息が詰まりそうだった。
世間の「良い夫」なんて、私には関係ない
彼が仕事に出かけた後、一人になった部屋で冷めたコーヒーを見つめながら深く息を吐き出した。 彼は優しい。良いところもある。だから私は彼を愛し、結婚したのだ。でも、その「良いところ」に一縷の望みをかけて、これ以上心を殺して生きていくのが私の幸せなのだろうか。
ふと、冷たい現実の風が胸の奥を吹き抜けた。世間一般の「家事をしてくれる良い旦那さん」という定義なんて、今の私にはどうでもいいのだ。「どんなに彼に良いところがあろうと、私が『もう心から寄り添うのは無理だ』と感じたなら、それは離れるべき相手なんだ」
私が求めていたのは、見せかけの優しさでも、家事の分担でもない。一人の女性として大切にされ、心から信頼できるパートナーシップだった。それが彼とは絶対に築けないと、私自身の心がもう答えを出している。
誰かのための「良い妻」でいるのは、もうやめよう。 私はスマートフォンを手に取り、ずっと検索できずにいた「離婚届 書き方」という言葉を、静かに、そして確かな決意とともに打ち込んだ。







