物件サイトのタブを閉じる夜
スマホの画面に並んだ、日当たりが良さそうな2LDKの部屋。
お気に入りに入れていたはずのそのページを、私はただ無感情にスワイプし、静かにブラウザのタブを閉じた。
一人暮らしの狭い部屋は静まり返っていて、冷蔵庫のモーター音だけがやけに重たく響く。
「1年後に結婚するから、そこに向けて同棲を進めよう」
一度は結婚観の違いから別れを選んだ私を引き止めた、彼のその言葉。
駆け出しの経営者である彼は、いつも夢に向かって一生懸命で、そんな姿が大好きだった。
やり直すと決めた日から、私は二人で作る新しい生活を夢見て、毎晩ウキウキしながら物件を探していた。
なのに、いざ具体的な内見の話を進めようとした途端、彼の態度は急変した。
『仕事でお金が必要になって、少し余裕がなくなった』
『頭を整理したいから、1週間会わずに待ってほしい』
いざという時、彼はいつも肝心なところで立ち止まる。
彼が過去にうつ病を経験していて、考えすぎる性格なのは知っている。 「仕事が忙しくてパンクしそう」と一人で抱え込む姿を何度も見てきた。
だからこそ支えたいと思ってきたけれど、突き放すような短いLINEの文面を見つめていると、どうしても胸の奥が冷たく沈んでいくのを感じずにはいられなかった。
「待つ」ことへの見えない期限
連絡自体は、途絶えてはいない。 生存確認のような、当たり障りのない短いやり取りだけは続く。
でも、会えない時間は確実に私の心をすり減らしていた。
「落ち着いたら、ちゃんと進めるから」
「条件が整えば、結婚に向けて動けるから」
彼から何度も聞かされた言葉が、薄暗い部屋の中でリフレインする。 ふと、残酷な事実が頭をよぎった。
条件が整えば実行する。それはつまり、今の彼には「できない」という事実に他ならないのではないだろうか。
具体的な話になると、いつも彼はストップしてしまう。
「やればできる」「余裕ができれば」という魔法の言葉に縋っていたのは、彼ではなく、変わってくれると信じたい私の方だったのかもしれない。
私はいつまで、この見えない未来をひたすら「待つ」だけの存在でいればいいのだろう。 彼の不安定な状況に振り回され、一喜一憂する日々。
もしこの先結婚できたとしても、何か大きな困難にぶつかるたび、彼はこうして自分の殻に閉じこもってしまうのだろうか。
自分の幸せを軸にするという選択
ふと、スマホの真っ黒な画面に自分の顔が映った。
そこにいたのは、彼との温かい未来を夢見る幸せな女性ではなく、疲れ果てて不安に押しつぶされそうな、ただの孤独な女だった。
私は、この宙ぶらりんで不安定な状態を「彼を支えるための試練」だと自分に言い聞かせ、耐えようとしていた。
でも、本当に私はこんな関係を望んでいたのだろうか。
私が描いていたのは、彼の顔色を窺いながらただ待ち続ける未来じゃない。 二人で話し合い、一緒に乗り越えていく未来のはずだった。
彼のペースに沿う人生ではなく、私の幸せを軸にした人生を描いてもいい。
その気づきは、冷たい水のようにスッと心に染み渡った。
もし彼が、私の思い描く未来を一緒に歩いてくれない人だとしたら。 一番不安な時に、私を一人ぼっちにしてしまう人だとしたら。
まだ彼に別れを告げる決心まではつかない。 けれど、もう自分の気持ちに嘘をついて、ただ都合よく待ち続けるのはやめよう。
誰かに今のこの苦しい胸の内を全部吐き出してみたい。
私の本当の幸せのために、そろそろ目を覚ます時が来たのかもしれない。







