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右目が二重に見えるんです ④

本作のあらすじ

「右目が、二重に見えるんです」——

関西の街から京都まで、ひとりの四十代の女性が「たまお悩み相談室」のたま先生に会いに来た。

薬の効かない目の不調と、二年続いている誰にも言えない関係。「これは、罰ですよね」とつぶやいた数ヶ月前のメッセージから、季節は梅雨に入っていた。

龍安寺の石庭の縁側で、たま先生はその「罰」という言葉に、何を返すのだろうか——

→ 第1話から読む

「私、自分の口で『罰』って、言ってしまいましたね」

桐原さんがそうおっしゃってから、私たちは、しばらく何も言わなかった。

縁側のうえに、午後の光が、また少し角度を変えて落ちていた。雲のかたちが空のうえで動いているのが、白砂のうえの影の動き方で、こちらに伝わってくる。光と影のさかいめが、ゆっくりとひとつ、また、位置を変えた。

「桐原さん」

「はい」

「ひとつだけ、桐原さんにおうかがいしてもいいですか」

「ええ」

——

私はゆっくり、息を吸った。

「桐原さんがいまおっしゃった『罰』という言葉は、桐原さんのなかでは、どういう意味のある言葉ですか」

「と、おっしゃると」

「『罰』という言葉を、桐原さんはずっとご自分のなかでお使いになってきました。最初のメッセージにも『罰でしょうか』と書いてくださいました。きょう、こうして並んで座っているあいだも、ご自分でその言葉を、何度か口にされましたね」

「ええ」

「桐原さんにとって『罰』というのは、どういうかたちをしたものでしょうか」

——

桐原さんは、そこで、すこし黙った。

「かたち、ですか」

「ええ」

「私のなかにある『罰』のかたち」

桐原さんは、ご自分のひざのうえで、もう一度、両手を組み直された。

「『悪いことをしたら、何かが取り返しのつかないかたちで、奪われていくこと』、でしょうか」

「ええ」

「右目が、戻らないかもしれないこと」

「ええ」

「もしかしたら左目も、いずれそうなるかもしれないこと」

「ええ」

「私が長く積みあげてきたものが、ぜんぶ、ばらばらと崩れていくかたち」

「ええ」

「それが、私のなかの『罰』のかたちです」

——

私はゆっくり、頷いた。

それから、もう一度、息を吸って、ゆっくり吐いた。

「桐原さん」

「はい」

「私のところでは、桐原さんのいまのご関係について、よいとも悪いとも、申し上げないんですよ」

「ええ」

「桐原さんの『罰』について、私から罰のあるなしをお答えすることも、できません」

「ええ」

「私が桐原さんと、ご一緒に置きたい言葉は、たぶん、もうひとつ別の言葉なんです」

——

「もうひとつ別の言葉」

桐原さんは、その私の言い方を、ゆっくり、ご自分の口で受け取り直された。

「『因果』という言葉を、聞かれたことはありますか」

「はい。よく、聞きます」

「桐原さんのなかで『因果』は、どんな言葉ですか」

——

桐原さんは、そこで、また少し考えた。

縁側の板のうえを、お昼下がりの風が、ひと筋、抜けていった。

「『因果』も、なんとなく『罰』に近い感じで、いままでは使ってきました」

「ええ」

「『悪いことをしたから、その結果がいつか、自分のところに戻ってくる』っていう意味で」

「ええ」

「だから先生に、最初のお手紙でも『罰』みたいな書き方をしてしまったのかもしれません」

——

私は、ほんのすこし、首をかしげた。

「桐原さん。ここから先は、私自身がふだん感じている話を、すこしだけお伝えしてもよろしいですか」

「もちろんです」

「私のなかでの『因果』というのは、もうすこし、静かな言葉なんです」

「ええ」

「『悪い結果が戻ってくる』という意味の言葉、というよりは」

「ええ」

「『起きていることを、ご自分で、起きていると認める』ということ。それを『因果』と、私は受け取っています」

「『起きていると、認める』」

「ええ」

——

桐原さんが、ふっと、私のほうへ顔を向けた。

並んで座ってきた長い時間のなかで、桐原さんがいちばんはっきりこちらを向かれたのは、その瞬間だった。右目はやはり、ほんの少し、左目とは違う角度で、私を見ていた。

「『罰だ』とご自分のなかで決めつけてしまうと、ご自分のいまの全部を『悪いものから始まった結果』として見ることになります」

「ええ」

「でも、桐原さんがいま座っていらっしゃるところは、もしかしたら、そうじゃないかもしれません」

「ええ」

「桐原さんがこの何年か、いくつものことをいちどに見ようとしてこられた。それを目のほうが、いまいったん、お知らせとして桐原さんに返している、という見方も、できます」

「お知らせ、ですか」

「ええ」

——

桐原さんは、その「お知らせ」という言葉を、ご自分の口でもう一度、ゆっくり置き直された。

「『お知らせ』」

「ええ。桐原さんのお身体のなかから、桐原さんに向けて出されている、お知らせです」

「ええ」

「そしてここからは、桐原さんへのおたずねなんですけれど」

「はい」

「いまのご関係について、桐原さんのなかで『よくない』というお気持ちは、ありますか」

——

桐原さんは、すぐには答えなかった。

しばらく、ご自分のひざのうえに置いた両手を、見ていらした。

「あります」

「ええ」

「ずっとあります」

「ええ」

「最初の半年、お食事だけだったころから、たぶんあります」

「ええ」

「『よくないな』って思いながら、続けてきました」

——

私は、頷いた。

「桐原さん」

「はい」

「『これはよくない』というお気持ちを、ご自分の中でちゃんと感じていらっしゃる。それが、まずひとつめのおたずねでした」

「ええ」

「ふたつめは、ここからです」

「はい」

「その『よくない』というお気持ちをご自分のなかに置いたまま、いまのことを続けていかれるのかどうか」

「ええ」

「それを、急がずに、ご自分でお考えになる時間が、いま、来ているのかもしれません」

——

桐原さんが、ゆっくり、視線をまた石庭のほうへ戻された。

縁側の板のうえに、桐原さんの肩のほうから、ふっと長い息が抜けていく音がした。

「先生」

「はい」

「答え、いただけないんですね」

「ええ」

「答えは、私のほうから差し上げられるものではないんですよ」

「ええ」

——

桐原さんは、そのまま、しばらく、石庭の白砂のいちばん遠いところを、見ていらした。

その横顔のなかに、何かが、ゆっくりと位置を変えていく気配があった。

本作「右目が二重に見えるんです」は全5話の連載です。

※本記事は、「たまお悩み相談室」に寄せられた相談をもとに、相談者の個人が特定されないよう変更を加えながら構成しています。

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